2017年09月21日

チャネリング 足和田山 大嵐天神社

レポート77 大嵐天神社
神「そなたらの思うようにやってゆけば良いのじゃ。
わしら天から麓の者達を見渡してやれ幾月、わしらもいよいよ
この天から又更に高き所に上りて更に更に広き世を見渡す時となったからのう。
そなたらも早ようついて参れよ。いつまでもわしらの声をあてにするようでは
そなたらはわしらの声を聞いているつもりでも、又違ったそなたらの世界に留まって居るに過ぎぬのじゃから。
その事良~く肝に銘じておくが良い。
そなたらが心を平らかにし、自らの内側の声に耳を傾ける時
それが即ち、そなたら自身を鏡として、現しておるのじゃという事まで判った上で聞くが良いぞ。
男よ、わしの言うておる意味が判るか?
むしろそなたには、今語った言葉の方が身近に感じられたやも知れぬなあ。
そなたは元々そのような性質を持ちておるからなあ。
まあ、そなたら互いに互いを補い合いながら、混じりあいながら
楽しくやってゆけば良いのじゃ。
それがそなたらの面白き世の定めじゃ。又、たびたび顔を見せてくれよ。
ではな。」

大嵐天神社
https://kawaguchiko.net/shinto-shrine/oarashi-jinja/ より転載

富士河口湖町指定 重要文化財
大嵐の村人が807年に大己貴命(オオナムチノミコト)と少彦名命(スクナヒコナノミコト)を勧請して、大嵐天神宮を建立しました。その後、天暦の頃(950年)に菅原道真公を合祀しました。

1841年には大嵐村全体に渡る大火事があり、その影響で神社本殿も焼失してしまいましたが、1845年には再建しました。1908年(明治41年)には拝殿を建造し、1997年(平成9年)には拝殿も含めた設備を大改修して現在に至ります。

この天神社本殿は、富士河口湖町の重要文化財に指定されています。
御由緒
当社は大同二年(807)に創立され、大己貴命・少彦名命を祀り天暦の頃(950)菅原道真公を合祀して天満宮と称し(明治五年法令により天神社と改称)広徳五年頃(1088)甲斐守となった新羅三郎義光の手厚い保護を受けた。永享十二年(1440)甲斐の守護職武田形部少輔重信公の社殿造営、明治四十一年(1908)拝殿と雨屋が完成され壮麗なるすばらしい神社であったが最近老朽化も甚だしく氏子の総意により浄財の寄附・労力奉仕等積極的に取組み平成九年五月三十一日竣工した。(敷地造成、本殿の補修、社殿・山神社・手水舎の改築、鳥居の建立)
転載終了。

動画
足和田山 大嵐天神社
https://www.youtube.com/watch?v=N7jVkaFUOjE





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